インド洋に浮かぶ“光り輝く島”を鉄道で巡る新風景。
26年間続いた内戦が2009年に終結。スリランカは現在、ニューヨークタイムズ紙にも“世界で訪れるべき観光地ナンバー1”に選ばれた、世界屈指のリゾートアイランドとして再び煌めきを放っています。海のシルクロードの拠点として栄えた“光り輝く島”は、今なお美しい街並みと自然にあふれています。中心都市コロンボから、インド洋と紅茶畑の絶景路線を抜け、世界遺産の仏教史跡へ。海岸や高原をのんびりと走る鉄道に乗り、スリランカの魅力を余すことなくご紹介します。
PART2
キャンディ〜ポロンナルワ〜アヌラーダプラ
スリランカ第2の都市キャンディは、シンハラ王朝が遷都して以来、およそ300年間、1815年にイギリスに征服されるまで続いた王朝最後の都です。周囲を山に囲まれた天然の砦のような立地に、人造の湖が輝き、その周りに仏歯寺や王宮跡など、キャンディ王朝時代の建物が点在する街並みは、実に情緒豊か。毎年夏に行われるペラヘラ祭も有名です。
仏教国スリランカのシンボルが、釈迦の歯。4世紀にスリランカに運ばれてから、この仏歯を持つものが国王であり、仏歯が置かれた場所が都とされてきました。現在その仏歯はキャンディの仏歯寺に大切に祀られています。豪華な本堂にある黄金の容器に収められた仏歯がご開帳されるのは、1日3回。実際には黄金の容器しか見られませんが、このプジャーの儀式には連日大勢の人が詰めかけ祈りを捧げます。
キャンディ湖畔にそびえ立つコロニアル様式の建物が、キャンディのランドマーク、クイーンズ・ホテルです。下宿から増築を重ね、地域の社交場になった豪奢な空間は150年以上の歳月を重ね今、世界中の旅行者を迎え入れています。アンティークな空間とともに好評なのが館内のレストラン。キャンディならではの郷土料理などが堪能できます。
果実や野菜、肉魚、スパイスなど、さまざまな食材が売られる中央市場は一見の価値あり。特に果物売り場は色鮮やかで、珍しい南国のフルーツが目を楽しませてくれます。夕方になると買い物客が一段と増える市場は、まさにキャンディの台所です。
キャンディ王国では国内各地から踊り手を集め、それぞれの地域で発展した豊作祈願や悪魔祓いのダンスを、ことあるごとに舞わせたと言います。こうして民族舞踊が宮廷文化として育まれたのが、スリランカを代表する芸能、キャンディアン・ダンスです。そのひとつであるヴェスダンスは、男たちが王を真似、釈迦の歯を崇める伝統の踊りです。
近年スリランカでは森林の開墾や密猟により、野生の象が年々減少。この状況に歯止めをかけるため、1975年に開園したのがピンナワラの象の孤児院です。迷子になった小象など、ここには約80頭が集められ、散歩や水浴びなど日々野生に近い環境で飼育されています。またヤシの葉などを主食とする象の糞は、紙の原料となり土産に喜ばれるノートやメモ用紙として販売されています。
オンラインID登録者限定
もっと見る
オンラインIDをご登録いただくと、「Railway Story」フォトギャラリーだけでなく、WOWOWオンラインの様々なサービスをご利用いただけます。詳しくはこちら >>
11世紀初頭から200年に渡り王都として栄えたスリランカ中央部のポロンナルワ。この繁栄の基盤として、歴代国王が乾燥地帯という環境にあって、もっとも力を入れたのが水の確保でした。街の西側に広がる巨大なパラークラマ湖をはじめ、国王たちは幾つもの貯水湖を作り、水路の建設を推進。王朝時代の灌漑施設は実り豊かな水田を生み出し、今もスリランカの米作りを支えています。王朝が幕を閉じた13世紀からジャングルに埋もれていたこの遺跡の発掘調査が始まったのは、20世紀初頭のことでした。
遺跡となった王宮は、国王パラークラマ・バーフ1世の命により築かれた12世紀の建造物。重厚なレンガ造りの建物は、かつて7階建てで50もの部屋を備えていたと言います。その東側に残る閣議場は、国政の心臓部。国王や大臣が集った石柱には、大臣たちの役職が刻まれています。閣議場の隣にはワニの口の樋口で有名な王子の沐浴場が残っています。
ポロンナルワにも王朝の誕生直後に仏歯寺が建てられ、王国の象徴として釈迦の歯が祀られていました。その仏歯寺跡に建つ大きな仏塔ワタダーゲーには、見事な仏教芸術が細部にまで刻み込まれています。守護神の像が彫り込まれたガードストーンは、聖域への悪魔の侵入を防ぐためのもの。間にはさまれたムーンストーンはお浄めの石で、参拝者はこの石を踏むことで体を浄め、聖域への歩みが許されたと言います。
仏歯寺の北にある岩山に彫られた巨大な仏像は、ポロンナルワ遺跡の大傑作と讃えられています。瞑想にふける座像、悟りを開く立像、最後の説法を終えて入滅した涅槃像。これらはまさに釈迦の生涯を伝えるものと言われています。涅槃像の長さは15mにも及びます。
天空の王宮を築いたのは、5世紀の国王カッサパ1世。父を殺めて王位を奪った国王は、標高200mの岩山の上に7年の歳月をかけて要塞都市を築きました。噴水をたたえた庭園や妖艶な美女が描かれたフレスコ画など、豪華なその城塞都市は、完成からわずか10年で弟の報復により終焉を迎え、王は自ら喉をかき切って果てたと言います。忘れ去られた夢の跡は19世紀後半のシーギリヤ・レディの発見により、再び世に知られることになりました。
オンラインID登録者限定
もっと見る
オンラインIDをご登録いただくと、「Railway Story」フォトギャラリーだけでなく、WOWOWオンラインの様々なサービスをご利用いただけます。詳しくはこちら >>
紀元前4世紀、北インドから渡来したシンハラ人が王国を打ち立て、以来1000年以上に渡りスリランカの中心地として栄えたのがアヌラーダプラです。王朝設立後、紀元前247年に伝来したのが仏教。インドの王子マヒンダが説く釈迦の教えに感銘を受けた、時の国王デーワーナンピヤ・ティッサは仏教徒に帰依し、住民も次々に仏教を信仰していきました。歴代の国王はこの地に寺院や仏塔を建てるとともに、治水事業を推進させ、スリランカを豊かな農業国へと導きました。
岩山を彫りぬき紀元前3世紀に僧院として創建されたイスルムニヤ精舎は、アヌラーダプラ最古の仏教寺院です。デーワーナンピヤ・ティッサ王によって建てられた寺院には、極彩色の仏像が横たわり、宝物殿には遺跡から発掘された貴重な品々が展示されています。恋に落ちた王子が身分を捨てて結婚したという逸話に基づく恋人の像も見応えがあります。
紀元前2世紀に、ドゥッタガーマニー王によって建設が始まったアヌラーダプラのシンボルです。塔の完成間近に重体となった王のために、王子が竹と布を使い一夜にして塔を完成させたという言い伝えが残っています。大塔ができ仏教の権威はゆるぎなきものとなり、アヌラーダプラ王国はその後も繁栄を謳歌し、芸術文化を開花させました。
オンラインID登録者限定
もっと見る
オンラインIDをご登録いただくと、「Railway Story」フォトギャラリーだけでなく、WOWOWオンラインの様々なサービスをご利用いただけます。詳しくはこちら >>