東日本大震災から3年。再建された鉄路を辿り、復興の地へ。

東北復興の鉄路を行く

海、山、大地の絶景を求め、古の人々も旅した東北には、今も年間1億人の観光客が訪れています。東日本大震災から3年。甚大な被害にあった鉄道は、現在95%が再建されました。東北を結ぶ情緒豊かな鉄路を辿り、福島、宮城、山形、岩手、青森へ。復興に取り組む被災地の姿とともに、純朴でぬくもりに満ちたその美しき日本の故郷の風景をお届けします。

PART3

みちのく文学の故郷を訪ねて

釜石〜遠野〜花巻〜盛岡〜宮古

MAP
釜石 遠野 花巻 盛岡 宮古

釜石 わが国の近代製鉄発祥の地

釜石

盛岡藩士の大島高任が、1858年に西洋式の溶鉱炉を建設し、銑鉄の抽出に成功したことが、日本における近代製鉄の始まりとされています。明治時代に富国強兵が唱えられ、製鉄の需要が飛躍的に増加すると、釜石は世界に誇る製鉄の町としてその名をとどろかせます。時代が変わっても製鉄の拠点として、また漁業の町として発展してきた釜石は今、大観音に見守られながら、震災からの復興に取り組んでいます。

  • 鉄の町、釜石鉄の町、釜石
  • 釜石港釜石港
  • 釜石大観音釜石大観音
  • 震災の爪痕震災の爪痕
橋野高炉跡

釜石市の北西部に位置する橋野高炉跡は、近代製鉄の父といわれる大島高任により築造された現存する日本最古の洋式高炉跡です。石組みの高炉や水路などの遺構が点在する一帯は、日本の重工業における貴重な産業遺産群として、ユネスコ世界文化遺産への登録も目指されています。1894(明治27)年の閉鎖まで36年間稼働していた高炉です。

  • 橋野高炉跡橋野高炉跡
  • 水路の遺構水路の遺構
呑ん兵衛横丁

屋台を引いて生計を立てていた女性たちが集まり、30軒ほどの小料理屋が並ぶ呑ん兵衛横丁が誕生したのは1957(昭和32)年のこと。高度成長期時代には明け方まで賑わったその横丁も大津波により跡形もなく流されました。しかし仮店舗で営業を続ける呑ん兵衛横丁は復興を支える地域の拠点。名物のラーメンも釜石再生の活力源となっています。

  • 呑ん兵衛横丁呑ん兵衛横丁
釜石線

東日本大震災まで3本の路線が乗り入れていた釜石駅。そのひとつが釜石と花巻を結ぶ「銀河ドリームライン」の愛称で知られる釜石線です。釜石の沿岸部と鉄鉱石採掘場を結び、1880(明治13)年に釜石鉱山鉄道が開通。その後、急峻な仙人峠を越え、釜石—花巻間の全線が開通したのは、1950(昭和25)年でした。

  • 釜石線釜石線
  • 愛称は銀河ドリームライン愛称は銀河ドリームライン
  • 釜石線釜石線

遠野 河童や座敷童子が遊ぶ民話の里

遠野

のどかな風景が広がる遠野には、今も江戸時代の伝統家屋であるL字型の南部曲がり家があちこちに残っています。寒さ厳しい土地で機織りや養蚕などの副業に力を入れていた遠野で、盛んに行われたのが曲がり家を活用しての馬の飼育でした。そして遠野を何より有名にしたのが親から子へ語り継がれた民話です。河童や座敷童子も登場する遠野の民話は、柳田國男によって『遠野物語』として編纂され、広く知られることになりました。

  • 遠野駅遠野駅
  • 遠野駅付近の釜石線遠野駅付近の釜石線
  • 河童淵河童淵
  • 南部曲がり家南部曲がり家
遠野伝承園

伝統的な遠野地方の農家の様子を垣間見られる文化施設です。園内には国の重要文化財である旧菊池家住宅や『遠野物語』の話者であった佐々木喜善記念館が建ち、伝承行事や昔話、民芸品の制作・実演などが体験できます。千体のオシラサマを展示する御蚕神堂は見応えがあります。郷土料理が味わえるお食事処もあります。

  • 遠野伝承園遠野伝承園
  • 水車小屋水車小屋
  • 昔話を聞くこともできる遠野伝承園昔話を聞くこともできる遠野伝承園
  • 佐々木喜善氏の像佐々木喜善氏の像

花巻 宮沢賢治の故郷

花巻

北上川の岸辺に広がる花巻は、宮沢賢治の故郷として知られる豊かな農村地帯です。1896(明治29)年に生まれ、37歳の若さで永眠するまで、およそ800編の詩と100編の童話を書き上げた宮沢賢治は、今なお多くのファンを惹きつけてやみません。記念館を始め、花巻には氏のゆかりの地が数多く点在しています。

  • 花巻の街並み花巻の街並み
  • 花巻駅花巻駅
  • 宮沢賢治記念館宮沢賢治記念館
  • 賢治が暮らした羅須地人協会跡賢治が暮らした羅須地人協会跡
岩手軽便鉄道

現在の釜石線の一部、仙人峠から遠野、花巻を結んだ岩手軽便鉄道は、宮沢賢治の代表作『銀河鉄道の夜』のモチーフとなった歴史ある路線です。釜石線が走る宮守川橋梁、通称めがね橋の脇には、賢治も目にした岩手軽便鉄道の橋脚が残されています。なお現在の釜石線のすべての駅に、エスペラントによる駅名が表示されています。賢治がドリームランドとして描いたイーハトーブとは、エスペラントで表現した、故郷・岩手のことです。

  • 遠野—花巻間の名所、宮守川のめがね橋遠野—花巻間の名所、宮守川のめがね橋
早池峰神楽

花巻の霊峰、早池峰山で修行した山伏たちが、地域の平穏を祈り、神々の心を鎮めるために奉納した舞が早池峰神楽の起源。その歴史は南北朝の時代にまで遡ります。現在では五穀豊穣や無病息災などの素朴な願いを込めた舞として定着。さらにはユネスコの無形文化遺産に登録され、その神々しい舞は神楽の館などで鑑賞することができます。

  • 早池峰神楽早池峰神楽
  • 早池峰神楽早池峰神楽

盛岡 石川啄木の故郷

盛岡市街

東北最長の北上川が流れ、背後に岩手山が聳える風光明媚な盛岡。江戸時代には京都から大勢の職人や名工が招かれた城下町は、明治以降に岩手の県庁所在地になりました。町にはそんな盛岡の歩みを伝える歴史的建造物が建ち、訪れる人の目を楽しませてくれています。

  • 岩手山岩手山
  • IGRいわて銀河鉄道(好摩駅付近)IGRいわて銀河鉄道(好摩駅付近)
  • 岩手山岩手山
東北本線

花巻から盛岡に向かう東北本線は、上野から青森まで約739kmの全線が1891(明治24)年に結ばれた東日本の大動脈です。以来、東北からの集団就職や出稼ぎ、首都圏からのビジネスマンなど、さまざまな乗客を運んだ東北本線は、現在新幹線の開通と延長に伴い、北の終着駅が盛岡になっています。

  • 盛岡駅盛岡駅
  • 東北本線東北本線
  • 東北本線東北本線
石川啄木ゆかりの施設

1886(明治19)年に盛岡で生まれた石川啄木は、明治時代に活躍した歌人。26歳までの波乱万丈な人生を送った啄木の足跡は、盛岡のあちらこちらに残っています。新婚の家は、わずか3週間で転居したという曰くつきの家。館内には啄木の直筆の書や写真が展示されています。玉山区にある石川啄木記念館には遺品や直筆書簡などが展示され、啄木の人となりが学べます。

  • 石川啄木新婚の家石川啄木新婚の家
  • 結婚式を挙げた8畳の部屋結婚式を挙げた8畳の部屋
  • 啄木記念館啄木記念館
  • 啄木先生と子どもたちのブロンズ像啄木先生と子どもたちのブロンズ像
山田線

盛岡駅を起点とする山田線の開業は1923(大正12)年。1934(昭和9)年には沿岸部の宮古と結ばれ、1939(昭和14)年には釜石まで全線が開通します。盛岡から宮古まで直通する列車は、1日4往復だけの運行となっていますが、その列車は地域の人のかけがえのない足になっています。また岩手屈指の景勝路線では、兜明神岳や閉伊川の渓谷など、変化に富んだ風景が楽しめます。

  • 山岸駅付近山岸駅付近
  • 茂市駅茂市駅
  • 区界駅区界駅
  • 山田線山田線

宮古 三陸海岸に臨む岩手有数の漁港

宮古

リアス式海岸の入り江に臨む宮古は、良質な鮭やサンマが水揚げされる岩手屈指の漁港。東日本大震災で市内は6000棟もの建物が全滅し、宮古漁港も壊滅的な被害にあいますが、市場はわずか1ヶ月後に再開。漁港復興の起爆剤となりました。なおこの宮古にも石川啄木の足跡が残されています。

  • 宮古港宮古港
  • 宮古駅宮古駅
  • 宮古漁港ビルに残る啄木寄港の地碑宮古漁港ビルに残る啄木寄港の地碑